豊島さんを思い出した日

今から30余年前、私は東京銀座の玉雲アカデミー塾生になった。

玉雲先生の塾生の中では一番若輩者で、多くのことを知らず、けれども情熱だけは人一倍あふれて、毎月1回のその日は目を皿に、耳をダンボにしてあらゆるものを吸収しようと張り切っていた。

アカデミー塾は、豊島宗七氏が創設した水墨画塾で、玉雲先生に憧れる全国津々浦々の水墨画愛好家が、飛行機・新幹線・船などを乗り継いで参集していた。

大半はすでに教室を開き、教えていた。

豊島さんは小柄な体にバイタリティーを埋め込み、上昇志向に満ちている人であった。

勤めていた出版社を退社し、玉雲先生を一躍有名にすべく出版社を立ち上げた。

「李刊水墨画」はまたたく間に愛好家達に広まり、水墨画の展覧会「全日本水墨画展」は、規模・内容ともに全国一の座を占めた。

私はちょうどその全盛期に在籍していたように思う。

そのころ水墨画を支えていた多くの方達は、加齢のため亡くなったり、筆が持てなくなって、水墨画の人口は急坂を下るように減ってきた。

コロナも言うに及ばず影響したことは確かだ。

今また、若い人達がポツポツと始めるようになったが、往時のような勢いは残念ながら戻っていない。

豊島さんが出版した「水墨画のすすめ」の本の中には、現代水墨画家を評するページがあり、私もその中に載せて頂いた。

あちこちで個展を開き、これから大輪の花を咲かせる、と書いてあった。

個展は東京でも開催された、とあったが、これは事実ではなかった。

その旨伝えるとそれは筆の勢いというもので、そのうちそうなりますと笑っていた。

その後、数年経って東京で個展の運びとなり、豊島さんの言葉を思い出した。

「うちのマンションにはプールがありますよ」と、そのころ自慢しておられたが、お元気だろうか。

(玉麗)

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