作品として描いたものではなく、何かの行事の時の案内板の絵だと記憶している。
あまり気負わずササッと筆を走らせたものが後々、ア、これいいねェとなるのは、ままある。
トイレに飾っている雀の絵がそれだ。
表情がいい。
ちょっとくちばしを開けているので、しゃべっているように見える。
「トイレへ行くと雀が何か語りかけてくれます」
と誰か言っていた。
「舌が少し見えてるのがいいですね」
と言った人もいる。
気に入っているのは私だけではないようだ。
洗面所の絵は毎月掛け替える。
玄関のお軸も季節ごとに。
けれどもトイレの絵はずっとそのまま。
生きものの絵は難しい。
キッチリ描くと固まって動きが見えなくなる。
つまり生きている感じがなくなる。
かと言ってスケッチ力をつけていないと作画崩壊となる。
描き込まず、動きが消える一歩手前で筆を置く。
その微妙なタッチを習得するには、同じテーマを何度も描くことだ。
よく、『目をつぶっていても描けるくらい』と表現するが、その通りだと思う。
同じ絵を何回も描くことを、たいていの人は嫌がる。
けれども1枚目より3枚目に、明らかに成長の跡を見ることが出来るはずだ。
同じ絵にしたくなかったら、背景を変える、ほんの少し小首を傾けるなど変化をつけて、描いてみてほしい。
あの雀はトイレをすみかとしていることにしよう。
チラッと見る日と、ようく見る時では、表情が変わる気がする。
雀のために、ラベンダーのデフューザーを置いている、と言うのは後付けだが。
(玉麗)