ベランダの鉢の土からはいろいろなものが芽を出す。
名前・由来のすぐわかるものもあれば、何年経ってもコレ何だろうのままの植物もある。
それらはなるべくひとまとめにしているから、彼らにとっては窮屈であろうとは思う。
草は抜き取るが、木になってゆくものは何となく捨て難く、こうなってしまった。
その中にキキョウが植えられていた。
他のものは、種を埋め込んでいたら芽が出たものもあるし、鳥のウンチから生えたものも。
キキョウであるが、昨年秋に買ってきたように記憶している。
それがなぜか春にも2花ほど咲いた。
花屋のオッチャンは来年も咲くよと言うが、次年にその通りになったものは数えるほどしかなく、キキョウも全く忘れ去っていた。
だが、植え替えはしたみたいで、そのほかのよくわからないもの4種と一緒に、さほど大きくもない鉢の中で、ひっそりと咲いた。
そして今秋もまた。
そうなると、みてやらねばと思ってしまう。
鉢は今リビングに入れられ、風太の遺影の横に在る。
切り花になる花が今ないので、しばらくここに居てもらおう。
猛暑が過ぎてアゲハがよく産卵に来る。
ベランダにいるクモや鳥やその他捕食者に餌食にされながらも、新芽をかじって黒虫が育つ。
娘は、神社や歩道脇のカンキツの新芽を採集してきて、彼らに与えている。
家の中で育っている虫たちは今、20匹をゆうに超えているはずだ。
アゲハの寿命は短いから、次年に命を繋ぐには途切れなくバトンタッチを続けなければならない。
グリンになってからの旺盛な食欲を見ていると、生き残るためのエネルギーに満ち満ちていることが、ヒシと伝わってくる。
幸運にも保護されていることを知ってか知らずか、ひたすら葉をかじり、休息し、育ってゆく。
(玉麗)