病んで解ること

世の中に病んでいる人のなんと多いことよ。

 

眼科へ来ている。

先日の歯科は予約制なので待つことはなかった。
眼科はそれがない。
もう1時間待っている。

途中、眼圧・視力の検査などあったものの、終わってここを出るのはあと30分はかかるだろう。

あ〜〜〜

 

心臓の検査もまた控えている。

予約なのに待たされる。

大病院の理不尽に怒っても仕方ないと思いつつ、本を読んでいる。

心に決することがある。

「もうここへは来ないゾ」

 

不整脈がナンダ、動悸がどうだっていうんだ。

歳を取ったら、どこもかしこも悪くなる。

それを何とかしようと考えて、病院へ駆け込むけれど、ずうっと生き続けることなんてできないのだ。

それは解っているけど、今のこの痛み・苦しさ・気分悪さなどを少しでも緩和できれば・・・と思ってしまう。

 

苦しい時は当然のことではある。

 

幸か不幸か、私の病(めまい)には、特効薬がない。

それを「幸」というのはおかしいかもしれぬが、ないが故にいつもこの苦しさに耐えている。

1度倒れたら、10日前後は常人ではいられない。

 

それが最近けっこう頻繁にやってくる。

つまりかなり耐性が生まれているということだ。

諦観と言い換えても良い。

 

で、もう大病院は卒業しようと思う。

暗い森から脱出する。

それでパタっと倒れても、もういいじゃないかと思えるようになった。

 

いつか死ぬんだ、誰であっても。

病んだら病んように生きればいい。

どうしても苦しかったらH先生がいるし。

もう大病院には頼らない。

 

この次の検査で結果が出たら、もうなんとかしてもらおうなんて考えないでおこう。

(玉麗)

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