八尾教室へ来ている。
隣の教室から、ヨガの先生の声が聞こえる。
娘の話によると同級生が講師をしているとか。
娘はOLを経験した後、私の助手から始まって、今では玉麗会すべてを掌握し、私に代わって牽引役を担ってくれている。
主宰澁谷雪、私は会長ぐらいの役割である。
会長はよく体調を崩して教室を休む。
会の運営は彼女に任せている。
新しいことを始めなければ会員獲得につながらないので、そちらの対策も含めて、彼女の肩には荷物が増えたはずだ。
ヨガの先生も新しい理論に基づく新しいポーズなど、吸収したり考え出したり、未来に向けての構想を描いていることだろう。
学生の頃は、ズバ抜けた頭脳の持ち主を除き、ほとんどの子供達が大した考えもなくのんびり無邪気に日々を過している。
しかし大人になったら生活するための糧を得る手段を、各々が考えなければならなくなる。
紆余曲折あって当り前。
何もなかった人もコロナでふるいにかけられて、新しい出発を余儀なくされた人もいよう。
私自身、このような職業に就くとは思いもよらぬことであった。
私の同級生はもうほとんどの人が、悠々自適の生活を送っている。
そのような年にすでになってしまったのだ。
なのに私はまだ働いている。
これを全面的に「幸」とは言えないのだが、「不幸」ではないことは確かだ。
彼女達の〇年後、世の中はどんなになっているのか。
私は悲観主義者ではないので、未来はいつでも「悪くはない」と思っている。
そうあって欲しいものだ。
(玉麗)