私の郷里ではお手玉のことを「おじゃみ」と言っていた。
小学3〜4年生の頃、友人と運動場の片隅でおじゃみで遊ぶ姿が写真に残っている。
写真は、記憶を辿るのに一番有力な水先案内をしてくれる。
学校の近所に郵便局があった。
そこの2代目だか3代目だかの主人(局長)は田舎っぽくないインテリ風遊び人?で、いつもカメラを携えていた。
気に入った被写体を見つけるとパチリと撮る。
たぶん現像も自分でやっていたのだろう。
数日後持参して、その時(おじゃみ遊び)は2人にくれた。
私はちょっとおませな顔をした子で、カメラ局長の好みに合ったのか、何回か撮影してくれた記憶がある。
話が逸れているが、そのまま続ける。
それから3〜4年後、小学生は中学生になった。
ある日,
1人で広い校庭を横切ってポプラ並木の方へ歩いていたら、カメラ局長に呼び止められ、振り向きざまにパチリ、パチリ。
気恥ずかしい年頃なので抵抗はあったと思うが、そのあたりのことはよく覚えていない。
出来上がった写真は、少女誌のグラビアに載せてもらえるのじゃないかと思えるほどの出来映え。
カメラ局長は、修正が上手だったのだろう。
この話の続きは、又、いつか。
おじゃみがタンスの引き出しから出てきて、久しぶりでポイポイ投げてみた。
子供の頃の遊びは体が覚えているのか、何度かやっていると3個使っても出来るようになった。
でも何しろ体が固まっているから動きが鈍い。
一生懸命やっていると汗が出てきた。
コレ、けっこう面白いです。
(玉麗)