表現できないもどかしさ

書きたいことはいっぱいある。

けれどもブログに載せるには選択が必要で、さらに表現にも気を配らなければならない。

体験したこと、見聞きしたことをそのまま書いては、何らかの支障が起きる。

特に、身近に発生した事象には最大限の配慮が要る。

世の中で勃発するあらゆることは、当事者とその周辺の人達のドラマである。
どの部分に軸足を置くかで、解釈が違ってくる。

片方の意見だけを聞いて判断してはいけないし、その判断に間違いがないかどうかを見極めるために、多くの人の考えを聞く必要がある。

民主主義の王道であるが、それとて右か左に逸れることが全くないとは言い切れない。
それに時間と手続きもかかる。

何事も丸く収めるには、人々の寛容と忍耐も必要になってくる。

最近、その2つが社会から失われようとしていると、新聞で読んだ。

その時は身近なことのように思われなかったが、このところ色々な話を聞くに及んで、友人が漏らした「生きづらい世の中になってきたネ」との言葉が蘇る。

寛容と忍耐は、嫌なことを受けた人が「マア ここは事を荒立てず、黙っていよう」と思うこと。

では与えた側にその思いは伝わっているのだろうか。
大抵の場合、「否」であろう。

力のある者が支配していくのが、世の常、そんな中でもハッキリ物申す人もいる。
行き過ぎた支配者の言動に対し、それは間違っていませんかと言える勇気を讃えたい。

寛容と忍耐にも限度があり、「生きづらい世の中」だと嘆いてばかりでは、先の光明はない。

知恵を寄せ合って、何が正しいかを事あるごとに考える習慣をつける必要がある。

(玉麗)

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