私は栗が大好きである。
と言っても、栗ごはんとか渋皮煮などのように、その季節に味わうものではない。
いつでも口にすることのできるマロングラッセ、これに目を細める。
しかし形の美しい、ちょっと澄ました贈答用が好きなのではなく、1kg入ったビニール袋でドンと届けられる割れグラッセを好む。
栗が好きだったのに、いつの頃からか採れたてを調理したものが体に合わなくなった。
1個で胸焼けを起こす。ナンデと言いたい。
以来、栗ごはんを頂いたら、ひとかけらを入れただけで食す。
寂しい限りである。
渋皮煮は半分しか食べない。
でも、マロングラッセなら、それも割れたのならウフフと食べられる。
1〜2年に1回ぐらい、贈り物の季節に自分宛でこのお菓子を贈る。
申込み後1〜2週間で届くが、もうすっかり忘れてる頃である。
そこへ、「澁谷玉麗様、マロングラッセ届く」となる。
まさに、“ウフフ・・・・・”状態で、箱を開け、封を切る。
ひと欠片くちに入れると、ウフフ以外の感想はない。
何日もかけて自分1人で食べたいところだが、娘にも教室(自宅のみ)の会員にも少しずつ、お茶の時間に添える。
アッという間になくなるが、それでいいのである。
美味しいものは美味しいうちに、少しだけ頂くのが、玉麗流作法なのです。
(玉麗)