「何か」に追われている。
「何か」の正体は、展覧会であるが、その回りに「忙しい」という意味の雑事がびっしりくっついているので、今のところ本体はウヤムヤに見える。
そのおかげで、しなくてもよいことをしたり、今しなくてもよいことに付随する諸々に、さらに追われる。
何かをしようとすれば、資料やらなにやらと、私達の仕事は、仕事本体よりも準備を整えることに時間と労力を取られる。
時として、いや頻繁に、つい先日見たものがどこに行ったのかわからなくなり、頭を抱えている。
ついさっき、ここに置いたはずのものまでが、アレッツ??となってしまう。
先日Sさんが来宅した折もそうだった。
彼女が、先に送っておいてくれた試作品が、どっか行っちゃった!
Sさんは、「あります、あります、そんなこと。年を取ってくると、家の中に小人がやって来るらしいですから」と言う。
そうなのか、物が突然消えてしまうのは、ヤツらの仕業か。
その現象を「借りぐらしのアリエッティ」の作品として仕上げた宮崎駿はスゴイなあ。
小人の仕業なら仕方ない。イタズラに飽いたらまた、その辺にそっと返しておいてくれるだろう。しかしそれがどこなのかはわからない。
結局私は、大キライな捜し物をしなくてはならなくなる。捜し物は資料の場合が多いので、別のを見たり、プリントアウトしてもらって何とか凌ぐ。
後日、何でもない時にそれが出てきて、アーア、今頃見つけてもなあ、となる。
家中のものを全部、一目瞭然の状態にできないものか。
小人達の手を借りても、多分それは無理だろうと、諦めはすこぶる早い。
(玉麗)