趣味の会と言えども、人の集まりを、可能な限り支障なく円滑に動かせるには、裏方の努力が必須である。
私達はいろいろな方々の知恵を借りつつ、玉麗会運営に腐心してきた。
今はインターネットの時代、私はまるでお手上げ状態であるが、こうしたいとの希望を伝えて娘に頼っている。
娘もすべて1人で当たることには無理があるので、専門家の意見を聞き、手助けも得て、新しいホームページ制作に励んでいる。
更新が、いろいろと忙しい時期と重なった。
彼女の負担は重いが、息抜きをしながらがんばってほしい。
口出ししてはハッと気づいて反省し、新しいことへの期待だけを膨らませるように努めている。
忘れることは新しいことの始まりであるという。
年をとって物忘れがひどくなったと嘆くことはない。
嫌なことはむしろ早く忘れ去った方がいいに決まっているし、昨日何食べたか思い出せなくても何の支障があると言うのだろう。
むしろ、新しいものが入る余地が出来たと喜ぶべきだ。
それぐらい強がりを言っても誰も困りはしないだろう。
私は保守的だと思ったこともあるが、実は新しもの好きだと言った方が正しいかもしれない。
昨日なかったものが今日ある驚き、それは昨日見えていなかっただけかもしれないが、気付くということは素晴らしい。
1週間前には、もう私の時代は終わったような気がして言葉に詰まった。
けれども絵を描く意欲が萎えた訳ではない。
娘が制作したホームページを見て玉麗会を訪れる人達に、こんな絵を習いたいと思わせる、そして会員達がやっぱりこの絵がいいと納得する、そんな魅力ある手本を創り上げたい。
趣味の会の入口には、美しく格の高い作品を掲げよう、と考えている。
(玉麗)