トイレに生花がある。とてもいいことだ。
それが自分の家のベランダで咲いたものであれば、さらに素晴らしい。
しかし365日花を育てることはけっこう大変で、今年咲いた花が(木に咲く花だとしても)また次の年、蕾を持つかどうかは全く保証がない。
大川端の桜を下見に行った。吉野桜は1片たりとも花をつけていない。蕾はまだほころぶ様子もなく、シーンとしている。公園の早咲きの木は半分ほど咲いていたが、昨年に比べると花のつき方が少ないように思う。
しだれ桜に至っては、上の方に蕾らしきものが見えたが、下方に枝垂れているのは全く駄目であった。枯れているようにも見えた。
この樹々達は40年以上経つのだろうか。もっと長いかもしれない。
ソメイヨシノの寿命が近づきつつあると聞いたことがある。どれくらい前だったか、一斉に全国に広がったので枯れる時も同時期であるとか。近年植林されている桜は、それを考慮していろいろな種類であるらしい。
ソメイヨシノは、確かに華やかに密集して花のトンネルを作ってくれるが、もしそれが一度に無くなったら、人々の落胆は計り知れない。日本人の桜好きは、毎年繰り返される花見の宴で証明されている。
今年はきっと自粛ムードだろうけれど、花の下をそぞろ歩きするくらいなら、ウィルスに近づくこともないだろう。
大川端は、健康のため走る人、歩く人、まだ花の咲かない桜の下でシートを広げて談笑する人もいた。
今日のトイレには蕾のいっぱいついた、ペラルゴ(赤)、スノーポール(白)を飾った。今の時期は1週間くらい持つのが嬉しい。
(玉麗)