玉麗会創立35周年 前編

2020年は「玉麗会創立35周年」と言っているが、厳密には30年である。

私は1985年に水墨画を始めた。同時に教えた。こういうところは恐いもの知らずだと、自分でも把握出来ていない性格に驚く。一生懸命練習して吸収しながら、それを即教えていたのだ。

当時の直筆手本はほとんど残っていない。会員はほんの僅かだったから、1人1人に教室で描いて渡していた。残っていなくて幸いである。今それを見たら、こんなんでようやってたナァと思うようなシロモノであろうから。

その頃教えていた近所の老人会の世話役が、本名の玲の字を取って『水玲会』と名付けてくれた。玉麗会の雅号を頂いてから『玉麗会』に変更しますと発表したら、世話役は「私が付けた名前を勝手に変えるとは何事か」とおかんむりで、ウンと言ってくれない。

この仕事を始めて最初の、クリアすべき難題が持ち上がった。1人くらいやめてもいいや、では収まらなくて、世話役は老人会の面々全部連れてやめると息巻く。

困った。

「玉麗」の名は玉雲先生から頂戴した、私が水墨画家として歩んでゆくための大切な雅号、看板である。

教えるようになって5年しか経たないヘナチョコ先生でも、ここで「ハイそうですか」と言う訳にはいかなかった。知恵を絞って、円満策を考えた。

(玉麗)

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