ワクワクするものはどこにある その1

よく言われることかもしれませんが、

人は、忘れっぽく飽きっぽい。

人は、ほぼ習慣だけで生きている。

人は、あまり考えていない。

 

特に、最初の忘れっぽく飽きっぽいというのは、私にはぴったり当てはまりますが、そもそも人の(私の?)脳の仕組みがそうなっているのではないかと思います。

「習慣」と「考えていない」はイコールでつなぐことができます。

自分が毎日行なっていることは、「生まれて初めて」ということはほとんどありません。何年も何年もかけて繰り返してきたことで、ほぼ惰性で行動しているにすぎません。

考えているつもりになっているだけです。

だから、ダイエットや運動や新しい習慣を始めようとしても、古い習慣で出来上がった大人の脳はそれに反応できず、むしろ跳ね返して除外しようとするのです。

だと、思います。(脳の分析本などで勉強した訳ではありません)

なかなかこれは厄介であり、だからこそ「新しいことを始めよう!」という言葉に励まされて、できるだけ新鮮なワクワクするような毎日を送りたいと願うのでしょう。

しかし実際、よほど意識して努力しないと大人には難しいです。ワクワクするような出来事を想像して、意識して、アンテナを敏感にしておく必要があります。それに、努力してワクワクする、というのも何か違和感がありますね。「感動」は、考えたり計画した結果得られるものではありません。

しかし、「ワクワクすること」というのは、年齢関係なく人によっては苦痛で面倒なことかもしれません。わざわざそんなことを探さなくても、十分生きていけるのだから、同じことの繰り返しが安心なのだと思う人もいるからです。

 

玉麗先生は、音楽に興味がないし、映画やドラマなどフィクションの世界は、時間つぶしであると言いきります。現実的な仕事人間なので、自身の創作が人生そのものとなっているのです。

一方、私は、エンターテインメント(音楽、映画、舞台…)が大好きなので、大人になっても夢中になるもの、ハマるものとよく出会います。(すぐ飽きることもありますが)好きなアーティストの音楽や、好きな映画のDVDは、どれだけ観たり聴いたりしても飽きるということが全くありません。

玉麗先生と私では、タイプが全く異なります。インスピレーションを受ける状況や、感じ方、考え方も違うと思います。ですが共通するのは、「産み出すこと」「創り出すこと」が好きであること。得意だということ。

つまり、「考えること」という行為が全く苦痛ではない人間なのです。何をか、はまた内容が違って来るとは思いますが・・・

念のためですが、「考えること」が得意だからといって、学校の成績がよかったとか、頭脳明晰と!いうことではありません。運動が好きで体を動かしていないと気持ちが悪い、というのと同じで、これも一種の習慣のようなもの。ただ、慣れているのです。

ブログを毎日書くのは大変ですね、とよく言われますが、実はネタが尽きることはありません。頭の中のことを自由に書いてよいなら、いくらでも大丈夫です。

創造することが面倒、苦手な人は私たちのように得意な人に任せて、自分自身の好みのものを選び、楽しめばよいのだと思います。

(雪)

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