待つのキライ

私は今日本屋へ行きたい。

駅前には本と呼べるものがホントに少ない本屋しかないが。

週刊誌は本ではない。

なのに、配達が来ないのだ。

以前はいつも午前中に来ていた。

人手不足というのだろうか。

 

待つことは拘束されること。

家でいるんだから何とかして時間を過ごせばいいじゃないか、と言う人は賢者ではない。

朝起きてみなければ体調の良し悪しがわからない身にとって、今日のような日は貴重な時間、それを自由に使えないことに文句のひとつふたつも言いたいが、一体誰に?となる。

こんな時、ちょっと用ができて下に行ったりすると、その時を狙ったように配達員は来る。

 

こっちも不幸、向こうも不幸、これが便利な世の中と言えるだろうか。

ならば絶対在宅している夜を指定(可能ならば)すればいいじゃないか、と言う人ももちろん賢者ではない。

個人に合わせた流通システムがもし可能になれば、世の中は大変革を遂げるのではないだろうか。

それにしても遅いナア。

 

楽しいことでも待つのは苦痛なヒトである。

待たせるのもキライだから約束時間より早く到着する。

予約というシステムにも便利さを感じたことはない。

利するのは向こうだけじゃないかと思っているフシがある。

前おきキライ、長ったらしい文章・話キライ、行列なんてトンデモナイ。

 

気が向いた時(体調の良い時でもある)に即、出来ることがいい。

バアサンてこんなものですかねェ。

(玉麗)

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