思い出す・・・・・
弟夫婦が、わが家で初めて食事をした時のこと。
玉麗「うちの家は合理主義なんだ、誕生日プレゼントとか一切気にするねぇ。プレゼントはいらねえよ!気を遣ってんじゃねぇぞ、本当にいらねぇんだ!何も買うんじゃねぇよ!わかったかい!」
姑から、まず最初に「プレゼントはするな」と宣言されるシチュエーションもあまりないことでしょう。
私は慣れていますが、奥さんのAちゃんは面食らったかもしれません。
玉麗先生のこの言葉の真意としては、
・プレゼントというものは、贈る側の方が楽しいものだから、つい相手が望まないものをあげてしまう場合が多い。(それでは無駄になるから良くない:合理主義に反する)
・Aちゃんたちに、いらんお金を使わせたくない。
という気持ちが隠れているのは言うまでもありません。
合理的と言うと一見、冷たいと受け取られることもありそうですが、玉麗先生には非常に義理堅い一面もあり、熱さと冷静さを持ち合わせた、昭和の「できる親方」のような人物なのです。
ところで、優しいAちゃんと弟は困ってしまったことでしょう。
何もいらん、と言うわりに面倒見の良い玉麗先生はみんなのプレゼントは必ず用意して、「はいよ、受け取ってくんな」と渡してくれるからです。
プレゼントの中身は靴下やタイツなど、日常に使える消耗品ですが、ポイントは普段私たちが買うものより上質なものであること。
適当に買うのではなく、ちゃんとデパートへ出かけて、絵柄なども私たちの好みに合わせたものをチョイス。
ハズレなし。
決して自分の主観が入っていたりクセの強いものは選びません。
これぞセンス。
これぞ合理主義!
プレゼントの達人と言えましょう。
一方、Aちゃんたちも、「何もいらねえよ」と言われたって、もらいっぱなしでは申し訳ないと、クリスマスや誕生日の時には連絡があり、何か贈り物を送ってくれます。
ただしその際には事前に「何か欲しいものはありますか?」と聞いてくれます。
「気を遣う必要はねえよ!」と言っていた玉麗先生も、近頃では丸くなってきたのか「こっちのことを気にかけてもらえるってのは有り難ぇこった」と切り替えて「これが欲しい」とリクエストしています。
(リクエストには「ハサミ」とかが多いのが親方らしいところですね)
(私の誕生日もこの付近なので「このコーヒーが希望」とかリクエストします:消耗品は基本です)
もちろん相手の懐具合に合わせたリクエストで・・・
年末のこの時期、合理主義なわが家にふんわりと暖かい風が吹きます。
昭和できる親方ということで、なぜかべらんめぇ口調になりました。
(雪)