長野県伊那市から便りが届いた。
私のことを「玉麗ちゃん」と呼んでくれる里美さん。
彼女とのお付き合いは、全日本水墨画展を通じている。
私が水墨画を始めてまだ1〜2年の頃か、展覧会最終日のパーティでお目にかかった。
玉雲先生直々の弟子ではなく、長野で手広く水墨画教室を開いている先生率いる一行の中に里美さんがいて、ひと目で気に入ったと言ってくれた。
あれから35年も経つのだと言う。
パーティは200名ぐらい参加があり、とても賑やかだった。
まだ40歳にもなっていなかった私は、若手の方でもさらに若輩者で、皆さんから可愛がられていたことを懐かしく思い出す。
「玉麗ちゃんとの思い出は、若くて溌剌とした時代と重なって、とても楽しく嬉しい」と言ってくれる。
今年の年賀状に「コロナ禍でも、元気ですよーっ」と書いた。
「直球、ストライク!受け止めましたョ」と書き添えられていた。
何度も会った訳ではない。
けれども、1回きりの面会でも心が通い合うようになる間柄があることを、里美さんが教えてくれた。
長野はまだ雪の中だろうナア。
(玉麗)