JAZZに思う

「帰ったらご飯の用意出来てます」
クリーンスタッフの女性が言っていた。

御主人は定年退職になり、かわりに奥さんが勤めるようになったら、家事一切をやってくれるようになったとのこと。
それはまた羨ましい。

「いいダンナさんですねェ」
と応じると、
「そのかわり1週間で環状線メニューですワ」
と笑っていた。

何もしない亭主はいっぱいいる。
今の若い人ならいざ知らず、昭和の男達はしない人の方が多いだろう。

時々デパートのおかず買って帰りますねンと言っていたが、感謝している様子は伺われた。
家事はいくらでも手抜き出来るし、評価されにくい労働のひとつである。

しかし、日々清潔に寝食を提供することは大変なことだ。
時々ならいくらでも手の込んだものを作ることはできるだろうが、毎日のことである。

掃除・洗濯・食事作りが、一度も億劫ではなかったと言い切れる主婦(夫)はいまい。
しなくても良い日があって、うわっラッキーと思わないなんてウソっぽい。
とにもかくにも毎日のことなのだ。

家事についての考察が始まったのは近年のことだ。
全ては女性に押し付けられていた長い歴史の中、当たり前として考えられ、女性側も大きな疑問は持って来なかった。

色々な面で解放されつつある主婦達。
しかし今夜もやはり作らなければならない。

ジャズと名付けられた小さな紅いりんごを買った。
可愛いので思わず買ってしまったが、かじるとちょっと固い。

ウーン、これのどこがジャズなのか。
夕食作りの手を止めて。わが家の主婦は考え込んでいる。

(玉麗)

 

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