お小遣いは自分のものを買うためにあるもの。
しかし、寄附をしたり他人に物を贈ったりして喜んでもらい、その人が喜ぶ様子を思って満足する間接的使い方もある。
私はもうかなり以前からその喜びを知っている。
M君は最近それに目覚めたらしく、時々プレゼントが届くようになった。
私にだけかといい気になっていたが、どうやらそうではなく、友人知人でふと思い出した人に、折々の品を贈り、喜んでくれることが嬉しいと言う。
彼が言う。
「お返しは絶対に送ってくるなよ。
何か送ったらすぐお礼に、って送り返してくる奴がおるけど、アレはイカン」
と。
「なるほど、ありがたく頂戴して、おいしかったと言えばいいンやね」
私が言うと、
「そうや、何か送ってくるなよ」
と念を押す。
贈る相手がいることについて若い頃は深く考えるに至らなかったが、それはとてもシアワセなことなのだ。
ただ、プレゼントの品についてはいつも書いているが、とても難しい。
一番いい方法は、相手の好物を折に触れて聞いておくこと。
M君は聞いてくれた。
「天プラ送っちゃるけん、何が好きなんか言うてくれ」
「タコとイカはいらん、野菜がいいナア」
そんなことをザックバランに話せる間柄なら上々である。
もちろん、お小遣いは自分のためのもの。
欲しいものがあって、それが少々高額品であった場合、1カ月はじっと我慢の子。
しかるべきのちに手に入れたものは、きっと大切に使うだろう。
欲しいものは借金してでもすぐ手にいれる友人がいたが、最近はやっとその愚かさに気付いたようで、無駄使いをしなくなったとか。
お金の使い方には、その人の性格や品性までもが現れると言う。
それは恐ろしいことにまさしく、その通りなのだ。
(玉麗)