私が子供の頃の生活は、ずいぶん不便で、何もかも不足していて、今から思えば不幸であったと言える。
しかし、そう言ってしまうのは表層のみを見てのことであって、その時代の人々は便利で充足している生活を知らなかった。
つまり不幸では決してなく、それが当たり前であったのだ。
ところが時代は目覚ましい発展を遂げ、現代に至った。
何でも手に入る時代は、便利なものを当然のように生活に取り入れている。
それが支障を来したら・・・。
昔のようには戻れない、昔よりも不便を感じる生活がやってくる。
毎日、給湯器のご機嫌を伺いつつ、浴室に湯を張る。
あ〜、もうこんな生活耐えられない、と思わず、叫びませんけど心の中では思っている
その上今日はマンション全体の、電気系統調査・調整のため、1日全面ストップ状態になった。
トイレの水、テレビ、ガレージ、給湯器、インターネット、その他・・・・・現代生活に必要な全てがストップする。
それに、大規模修繕という一大ストレスが控えている。
思えば世の中ストレスの嵐、毎日毎日何らかの形で神経消耗が続いている。
私達は便利な生活と引き換えに、心の平安をどこかへ置いてきてしまった。
と嘆いていても、元には戻れない。
可能な限りの智恵を集結して、襲い来るストレスを向かい討つ気持ちで奮い立つ。
あるいは軽くいなす。(しかしそれが出来ないから鬱になるンダ)
気分が滅入ったら外に出る。
公園や、里山、郊外のどこか、デパートでもいい。
とにかくクサクサする気持ちを解き放って、また臨戦体制に入る。
この繰り返ししかないような・・・・・。
まずは仕事、仕事、終わったら羽根よ、生えてこい!!
(玉麗)