買物の帰りに川の畔を歩いた。
思わずきれいと呟いてしまう。

今年の桜は急ぎ足で咲き出した。
すでに満開の木もそこかしこ。
歩き進むにつれて多くなり、花のトンネルになっている所もあった。

広い通路のあちこちで、座っている人、写真を撮る人、お弁当を広げる人・・・・・。
思い思いの方法で桜を愛でている。
密を避けて2人連れがほとんどであった。

それでもやはり駅に近い所には、10人程の団体が何組がいた。
さすがに焼肉のニオイはしなかったけれど。

昨年もそうであったが、このような時はひっそりと、桜を見ることにのみ熱心であって欲しい。
そんなことを思いながら、人の群れから遠ざかった。

願わくば 花の下にて 春死なん
その如月の 望月の頃

いつの頃からか、桜が咲くと西行の歌を思い出す。
乞い願い続けるとそうなるのだろうか。

西行法師は、桜の季節に亡くなったとか。
如月(きさらぎ)は2月のことだが、旧暦なので3月になる。

息をのむように美しいものには、死と結び付けたくなる何かが潜んでいるらしく、昔の人々はいろいろな表現をした。
ちょっと昔の人達もそうしたように思う。

けれども今はずいぶん変わった。

人の心の移り変わりをよそに、桜の花は咲いて、散る。
うす墨桜は今も咲いているのだろうか。

(玉麗)

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