今まで・・・・・

会員が「こんな写真がありましたけど、覚えていますか」と、21年前のイベント記念写真を持ってきてくれた。

「あっ 椿山へ行った時の!若いナアみんな、元気でしたねェこの頃」

持参してくれたTさんは引越されて、何年か休会していたが、また通ってくれている。

その教室は20年以上の人がいないので、皆さん興味シンシンで当時のことを聞いてくれる。

 

数えたら22人、写した人も加えて総勢23人で茨木・椿山へ行った思い出。

「先生大変でしたネ、こんなに多勢引率して」

誰かが言った。

ほんと、若かったからこそ出来たことだ。

低い山ではあるが、1人の怪我人もなく、故障の人も出ずに無事大阪駅で解散した後は、ヘタリ込むほど疲れていた。

 

そのころはまだ私1人で玉麗会を束ねていた。

娘が言う。

「どうやって参加者を集めたん?食事とかは?」

お昼ごはんは椿山入山料5,000円の中に入っていた。

そのほかのことはもうほとんど覚えていない。

椿山へはその頃ちょくちょく行っていたので、全部一緒くたになっておぼろげに断片的に思い出すが・・・・・。

 

その後も円光寺へのバスツアーとか、小さい催しは何度も行ってきたが、その都度寝込んでいたことだけはしっかり覚えている。

要望があったら企画運営はするが、とにかく何事もなく終わってくれることだけが私の望みで、思い出を残すとか、記念になることを行う等の余裕は全くなかった。

それ故、あまり記憶に止どまっていないのかもしれない。

ようやってきたナア、が感想のすべてである。

(玉麗)

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