日記を書くことができません。キッパリと宣言するほどのことでもないのですが。「ブログは続いているやんか!」と知人には励まされるのですが、これも一応日記形式ではありますが、内容は日記というよりも、エッセイに近いものがあるのではと思っています。しかも(私の方が割合は多いですが)共同執筆です。
普段たいていノートを持ち歩いていて、思いついたことやなんかを書いたり描いたりすることは好きなのです。そんなノートはたくさんあるのに、日記は一冊もありません。そして思い当たりました。「記録」的なことが苦痛なのだと。
記録はただデータを黙々と書き記すもの。そこには主観も、センスを感じさせるボキャブラリーも、季語も、ちょっとしたイラストも必要ありません。それが退屈で、すぐ忘れてしまうのです。写真も同じです。きれい、面白い、などと心が動くものは積極的に撮ることができますが、資料用となると、すぐに忘れてしまいます。
“記録の鬼”の友達がいます。彼女はダイエットをする時には(もしくは普段からずっと)毎日体重を記録し続けています。現在はスマートフォンのアプリを使っているそうですが、もっと昔はお風呂場の前の壁にノートをかけて、そこに体重と体脂肪の数値を書き込み、さらに折れ線グラフ状にしてひと目でその推移がわかるようにしていました!
家計簿にしろ、日記にしろ、なにかを続けて記録し続けること、そのデータはのちのち役に立つことはわかっているのですが、どうしてもできないのです。(※夏休みの観察日記)
(雪)
その記録の鬼さん 存じ上げております笑。