前日の「さようなら」という言葉をかみしめていました。さようならは別れの挨拶、別れは寂しいもの、イコール「さようなら」には悲しいイメージがあります。
でも私はこの言葉がなぜか気になり、好きなのです。じゃあまた、とか、バイバイ、とか別れの言葉は色々ありますが、「さようなら」を使うことを躊躇することはありません。それは、さようならの語源を知ったときからです。
「さようなら」は、「さらば」から来ていて、「さらば」を分解すると、「さ(左)らば(あらば)」=「そうであるならば」
さようなら=左様であるならば
左様であるならば、とはどういうことか?
人と人は縁があって出会い、親しみ、交流がうまれます。でも人は本来みな1人ずつ。個体の生きものです。それぞれの考え方、事情を持って生きています。さようならは、「左様であるなら(あなたのことを尊重します)」と、お互い別々の個体であることを認め合う、少し寂しいけれど美しい言葉だと感じるのです。
昨日のお2人は私も知っている方々。そうでしたか・・・・左様であるならば。
(雪)