“どこかに勤めてお給料もらった方が確実だったと思うんですけど、そうしないで、自分を磨いて生活を立てる道を選ばれたのは、ある意味賭けをされたということですよね。先生ってすごいギャンブラーです。”
“ギャンブラーねェ。カッコいいけど、でもそれってずいぶん期間の長い賭けやねェ。マァ、いろんな仕事したんだけどネ、どれも落ち着かなくて・・・・・。”
“苦労されたんですねェ。”
“うーん、苦労ねェ。渦中にいる間はあまり深刻に繰ろうしてるってわからなかったけど。こう見えてけっこう人に疲れるタイプでね、1人でがんばれば結果が出る道に進んだっていうことかナ。運もおおいにあるし、時代の流れもあるし・・・。”
なんてことを、入会してかれこれ4年近い会員と話したことがある。
その夜、自分の経歴書を見て気が付いた。
27周年展が終わったところだから、28年目だと思っていたが、1985年から水墨画を初めている。
マァ、ナント33年にもなるではないか。
30代だったンですよね、その時のワタクシ。
“43歳から始めました”といつも言っている根拠は、玉雲先生に師事した年齢なのだ。
それ以前は独学であったり、日本画家に運筆を習ったりしていた程度なので、自分の中では数字にならなかったのだと思う。
画家では生活できないから教室を開いた。
でも運営は、勤めるよりタイヘン。
よくわからないままとにかく走ってさえいれば、安心できたヒトなンだナァと、我ながらその単純さに呆れている。
(玉麗)