ある日の幸せ

あらゆる事は、したいこととしなければならないことにほぼ2分されている。

両者が一致することは少ないが、もしそうであればそれはとてもラッキーなことだ。

例えば今日、どうしても電球を手に入れなくてはならなくなった。

玄関の照明が切れたのだ。

近所に在った電気屋は「街の電気屋さん」としてとても重宝していたのに、先月末で店じまいをしてしまった。

電球ひとつ手に入れるのに、バスに乗って梅田まで行かなければならない。

ネットで手に入れる方法を、私は好まない。

たいていの場合思ったものが届かない。

グズグズしていたらケータイが鳴った。

友人が、外出するのでお昼一緒にどう?と言う。

喜んでOKした。

梅田の大型電気店でおちあった私たちは、まず電球を求めて売り場へ。

実際に見て選ぶことができても、私が考えているものがない場合もある。

世の中どこかで折り合いをつけなければ、幸せな人生はやって来ない。

もうひとつ、買ったものがある。

卓上灯、これは今までに2度、見て触って灯してどうしようかと考えていたものだ。

今回思い切って手に入れて、配達の手配をして友人と昼食に。

パスタはあまりおいしくはなかったが、ゆっくり話ができる店で私たちはひと時を過ごし、次は彼女の買い物に付き合った。

友人の方も、電球を買う程度のことだった。

このところ体調不良で、家でくさっていた私のために付き合ってくれたに違いない。

人生に必要なものはいろいろあるが、友人はそのうちの重要な役目を果たしてくれる。

歳を取ると、多くの人に囲まれていなくてもそう問題はない。

日常の些細なことを言い合って、笑ったり嘆いたりできる女友人が2人ぐらいいれば、充分幸せなことだ。

この「言い合って」が肝心で、一方的にまくしたてたり、押し付けたりされたら、幸せとは無縁になってしまう。

したいこととしなければならないことが、その日のうちに完結し、満たされた気分で帰途についた。

(玉麗)

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