最近よく夢をみる。
愛犬と遊んでいたり、懐かしい人に会っていたり・・・。
昔のように断崖絶壁から落ちそうになったり、迷路から出てこれないような緊迫感のあるものではなく、穏やかで優しくほんの少し寂寥が残るものの、総体的にしては幸せな夢である。
昨夜の私は広い広い草原にいた。
そこに和紙を広げ、梅の木を描くのが課題であった。
玉雲先生も現れた。
しかしなぜか参加者は少なく、あっちにポツン、こっちにポツン。
そのうち誰もいなくなってしまった。
緑の海の中に私1人。
青い空と緑の草、白い和紙。
花のない老木の枝を長く長く伸ばしながら、「そうだ、この辺りで捻りを入れよう」と考えている私。
描いているのは老木であっても、夢の中で私はいつだって若い。
みんなそうなンかなあ。
夢は、みたいと思っても実現するものではなく、夢も種類も決して選べない。
風太が亡くなった後、せめて夢の中へ出てきてほしいと何度思ったことか。
娘が「風太君の夢みた」と言い出したのはいつ頃だったか。
旅立ってからすぐではなかったように思う。
私は昨年、やっと会うことができた。
年月を経たないと、夢という結晶は出来上がらないものらしい。
娘が、風太はいつも小さい姿で現れる、と言う。
確かに私がみた夢の中でも、手のひらに乗るぐらいの大きさだった。
生後40日でわが家にやってきた時の姿が、強く印象づけられているのだろうか。
3日ほど眠れなくて、その次の日が昨夜であった。
ぐっすり眠った日の明け方、浅いまどろみの中で夢うつつとなるような気がする。
いい夢で目覚めるなんて、まさに願ってもないことだ。
(玉麗)

