ちょっと離れた所に在るスーパーへは週に1〜2回行く。
途中に緑が繁っている場所があり、毎回私は子供のように覗き込む。
引っ越しして間もない頃、季節は初夏か、白い花がいっぱい咲いているのを見つけた。
ツルバラであったが野生化して花は少し小さかった。
しかしそれが何メートルにも渡って続く様は圧巻で、見物する人が私1人で在ることがナンデ?と思うほどキレイであった。
道行く人は皆忙しい。
花が咲いていたとて愛でることを忘れてしまっている。
ひょっとしたらその心さえ無くしているのだろうか。
所有者のいないツルバラをひと枝折っても、誰も咎めない。
私はそれを持ち帰り花の部分を切って皿に浮かべ、枝を下の花壇に挿木した。
残念ながら芽は出なかった。
今日見つけたのは野ぶどう、確かツル性であったように思うが、木化しているような・・・。
実もいっぱい成っていた。
ぶどうと名は付いても食べられるものではない。
採ってこようとしたが、いやこのままにして熟れるのを待とう、その方が美しくなると考えた。
覗き込むと下の方から生えているらしく、その辺一帯に実が見えた。
阪急か阪神か忘れたが、個展の折、野ぶどうとカマキリを描いた。
年配のご夫婦が買ってくれた。
「明珠在掌」と書き入れたので、その読み方・意味も聞かれた。
この話は野ぶどうのことを書くといつも出てくる。
「めいしゅただなごころにあり」
と読む。
宝の珠(宝石)はあなたの手の中にありますよとの意味。
さてどんなシーンでこの言葉を使うか、考えてみて下さい。
野ぶどうの在る場所は私のワンダーランド。
折々の発見でわくわくする所である。
(玉麗)

