単純なモノをサッと描くには、熟練の技が要る。
水仙もひとつの例である。
私が水墨画を志、玉雲先生に師事するきっかけとなったのがこの花だ。
師が描いた水仙を見たとき、私の鼻腔を香りがよぎった。
この鮮烈な体験が、水墨画家澁谷玉麗を生む原点となった。
そのような思い入れのある花なのに、なぜ水仙を玉麗の花(玉麗会のマークも含めて)としなかったのか。
“難しい”のひとことに尽きる。
この花を描くたび、私はまだまだ師の境地からは遠いナァと自戒するも、『マア ある日突然にということもあることだし』と思うことにしている。
「ずーっと続けていたら、ある日突然描けるようになるもンですよ」
と教室でも言っている。
熟練の技なんて、短期間で成るものではないのだ。
先日水仙を頂いた。
芳香が玄関に漂っている。
(苞から出た蕾)
(葉の先は丸みがあり、くるっとねじれる性質がある)
(玉麗)