人間はロボットではないが、1ツだけネジがある。
ロボットにはない「こころ」と名付けられた部品についている。
「心」は目に見えない実態のないもの。
それをやはり実態のないネジで止めている。
ネジが1本しかないというのも心許ない。
しっかり止めておかないと揺れ動き、きつく締めると苦しむ「こころ」。
場所は頭の中と思っている人もいるし、いや心臓に近い場所と答える人もいる。
ネジの締め加減は個々、人の裁量によって違ってくる。
緩んでいるのに気づかない者に周りが気づき、注意することもある。
スンナリ受け入れてネジを締め直す者も入れば、余計なおせっかいと考える者もいる。
しかし人は労働をして対価を得、それで生活を営んでいる。
ネジが緩むとサボる、手抜きする、注意散漫になる。
はては仕事を放棄する者もいるかもしれない。
仕事に限ったことではない。
他人に優しくなれない。
他人を攻撃する。
あるいは自分自身を痛めつける者もいる。
薬物依存、暴飲暴食、ギャンブル依存、買物依存、その他数え上げればキリがなく、堕落への道はそこら中に存在する。
ネジを常時キツく締め、自分を律し、常に前を向いている者は、面白味からはほど遠い。
しかし、ネジが外れかかっている人間に比べると、危険度は極端に低い。
ネジのキツい人とゆるい人は、本来相入れない性格である。
けれどもそこに寛容という言葉が介入すれば、互いを認め合うことも出来る。
しかし寛容も「こころ」が支配する領域なので、かなり難易度は高い。
特に、両者が仕事を介して向き合う場合、それは顕著に現れ、ネジのキツい人は緩い人を許せない場面にしばしば遭遇する。
時と場合によっては、寛容をなぎ倒してしまうこともある。
それを単に攻撃と受け止めた場合、両者間には亀裂が生じる。
しかしそれも、「こころ」は時間をかけて修復に努めるはずだ。
元々、両者は構造の異なるネジで「こころ」を止めている。
ひとくちで言えば、キツいネジと緩いネジ。
強いネジはしっかり止めることは出来る。
しかし遊びがない者には脆さも伴う。
緩いネジは妥協がある分、変化自在でもある。
ネジの制御はとても難しい。
何しろ人間であることの根幹である故。
(玉麗)