言ってもどうにもならないことだけど、最近のもの、道具・機械すべて新しくなると、改良ではなく改悪される。
コストパフォーマンスとやらで利益を上げることを、より強く求められる時代になってきてしまった。
洗濯機は私なりの洗濯の仕方を拒否する。
掃除機はヘッドが小さくなって、広い場所ではより多く動かなければならなくなった。
フローリングワイパーを愛用している。
いや「していた」と言うべきか。
前のはスポンジが付いていて、その部分にシートを挟み込むようになっていた。
そのスポンジが固いものに変わった。
クッションが無いので床に密着せず、細かい埃が取れていないような気がする。
それに柄が短くなって使いにくい。
私の小さい体がそう思うのだから、背の高い人はもっと扱いにくいだろう・
こんなところをケチって、いくら原価を抑えられるというのか。
それに、シートも長いものは作らなくなったそうな。
短いのを2枚当てて使え、と言う。
消費者をバカにしていないか。
とマア、文句を言い出すとキリがない。
とにかく「改良」なんて言葉は死語に近くなりつつあるのではないかと、危惧する。
代わりのものがあればソレを使うが、無いのだ。
全てが使う側に立って作られておらず、作る側の都合でそれらしいものが出回るようになった。
日本のモノ作りはまだ健在であると聞くが、とにかく安いものに押しまくられ、それに追随しないと潰れてゆくとの言い訳はもっともらしいが、良いものを正当な価格で手に入れることにやぶさかではない人たちはいるのだ。
私は国産を愛用している。
必ずタグを確認して日本製を買う。
しかし、モノによってはもはや日本製が無いものもある。
あってもほんの一部で、それはデザイン的に私の趣味に合わないものが多い。
例えば、保温水筒、傘。
これらは日本のものは皆無と言ってよい。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
選択の余地ナシなんて!!
いつか戻るのではないかと思ったりもするが、無理だろうナと諦めの方が強い、悲しいけれど。
(玉麗)