高校生活を過ごした母校から、100周年記念誌に掲載される原稿の正式依頼が届いた。
何名かの内の1人として選ばれたのは、Y先生の推薦があったからだ。
数学が苦手だった私は当時、Y先生とはなるべく目を合わさないようにして授業をやりすごしていた。
ところが10年以上前、Y先生担任の隣のクラスが催した大阪でのクラス会に、ひょんなことから加わってしまった。
先生は当時の印象とは全く違っていた。
先生が変わられたのではなく、「数字キライ イコール 先生苦手」の勝手な数式を作っていたことにようやく気づいた。
故郷での個展の折は会場のデパートへ御夫婦で来て下さり、龍の絵の依頼を受けた。
私と娘は完成した絵を携え郷里へ赴き、先生の歓待を受けた。
その後もずっと応援して頂いている。
文書での原稿依頼の中に、90周年の折の寄稿文が例として同封されていた。
どの方も故郷を讃え、高校生活が楽しかったことを美しい文章で綴っていた。
なるほどネ。
このように書くのが母校の祝典への礼儀なのだろう。
私もそれらしく、そつなくまとめて仕上げるべきなのだろう。
Y先生は、水墨画家になるためにどのような苦労をしたのか、その努力を記して欲しいとハガキにしたためて下さった。
上手くまとめられるかどうか…。
儀礼的言葉の羅列だけは避けたい、と今のところ思っている。
(玉麗)