弟とAちゃんが遊びにきてくれました。
実は!
このマイバースデー&クリスマスシーズンに、旅行の計画をしていたのですが、玉麗先生の不調のため中止となりました。
この旅行計画は、今年の初春にさかのぼるもの。
つまり、元々は玉麗先生の誕生日旅行だったのです。
季節の変わり目に体調を崩すことが多いため、この春の旅行はキャンセルとなり、そしてこの時期になりました。
旅行はなくなり、他にも案が出ましたが、最終的に2人が遊びに来てくれることになったので、いつもの「誕生日クリスマス年末パーティ」となりました。
子供の頃の誕生日は、シンプルに「なんか知らんけど主役で、プレゼントをもらう日」でした。
ただ、クリスマスが近いのでちょっと豪華になって1つにまとめられる、というのがこの付近の誕生日の方々の悩みですよね。
我々には、この謎のルールに対し、「なぜ2つじゃなくて1つなんだ」という主張と共に戦ってきたという歴史があるんです。
そんな戦いの日々も過ぎ、今の私にとって誕生日の定義は、
「堂々とケーキを食べて良い日」
このように変化しました。
プレゼントなんていらない、というと正直ウソですが、これが大人になるということなのかもしれません。

また、当日にいただくおめでとうメッセージも、「自分のことを思い出してくれる」瞬間、嬉しいことです。
S N Sでプロフィールに誕生日をのせると、当日に「今日は〇〇さんの誕生日です」とお知らせが出ます。
かつて同級生の男の子は、
「皆お知らせをみて『おめでとう』とメッセージをくれるだけで、覚えているわけではない。そんなのは嬉しくないから、自分はのせない」
と話していました。
確かに、親しい友達や恋人、家族以外で、人の誕生日を覚えている人は少ないでしょう。
私は、1度聞くとけっこう名前よりも覚えているかもしれません。(自慢→たまに間違えます)
数字のみ暗記するのではなくて、季節や星座や、何かと関連付けてイメージすると覚えやすくなりますよね。
さて、前述の同級生の男の子は、さらにこう言いました。
「誕生日は、自分が主役じゃなくて親に感謝する日なんやで」
おっと、次はお坊さんのようなことを言うので驚きました。
うちのカエル家族、ジャン君たちをじっと眺めていると、時々「ジャン君の兄弟はどこにいるのかな?」「お母さんたちは元気なの?」と語りかけてしまいます。
ヒキガエルの産卵は1度に1万個といいます。
自然界の動物が多産なのは、それだけ生き残る確率が低いということ。
卵の状態でも、オタマジャクシになっても、手が出て足が出てミニミニガエルになってからも、常に周りは敵だらけです。
生きるか死ぬか、の毎日です。
一方、私と弟は幸運なことに、まあまあ、まだ生きている。
これは非常にラッキーなことかもしれません。
自然界の厳しさを一切知らずにぬくぬくと育ったおぼっちゃまガエル、ジャン君・マルちゃん・故スリムに比べると、私たちは日々悩んだり、痛い!とか、おいおい嘘やろ!というようなことを体験しながら生きていますが、それも生まれてきたからこそです。
玉麗先生、弟、Aちゃん、いつも私を支えてくださる全ての人に、
ありがとうございます。

おじいちゃん、おばあちゃん、おかげさまで無事、今年も1つ数字ゲットしました。
(雪)