好きな画集はありますか

好きな画集

美術展や本屋へいくと、ついつい欲しくなる画集。単に、ファンで好きであるという場合と、参考にしたいという仕事にからむ時があります。私の師(水墨画家)は、家庭画報を購入していました。写真が非常に美しくて作品のヒントになるとのことでした。

そんな風に、ジャンルにこだわらずともアイデアのヒントになるものは、それこそいたるところに転がっています。いや、都合よく転がってくれてはいないだろうけれど、あらゆるものの見方をかえるだけで、イメージがふくらんだり何かのきっかけになるということはよくあるのです。(実際に作品になるか、かたちになるかどうかはまた別の話)

残念ながら、有名な美術展に行って歴史的名作からインスパイアされて、何か思いつくということは・・・まずないですねえ(私は)。「よーし!」と張り切っている時よりも、ただカフェで珈琲を飲んでいる時など頭の中に自由な空間が広がります。

だから私はどこへ行くにもたいてい、ペンとノートをカバンに忍ばせています。外出先でバッグの中にそれらがないことに気付くと、妙に落ち着かず、どこかお店で買おうかなと思うくらいです。といって、ペンとノートにもこだわりがある私は、しょうもない安っぽいボールペンと味気ない罫線の引いたノートではガマンできないに違いないのですが。

ペンとノートとはアナログな、スマートフォンがあるではないか。文字で記録するなら十分役目を果たすし、便利なカメラもついている。カメラは確かに便利ですね。空をパシャ。花をパシャ。虫をパシャ。でも、メールやLINEや連絡を取ること以外で「メモ」「落書き」、いわゆる思いついたことをアウトプットする道具としては、やはりペンとノートが最適。なんでと言われてもそうなんですね。

画集の話に戻りますが、家の本棚にはぶあつい、またはそうぶあつくもない有名な画家たちの本がいくつもあります。それらを手にとって眺めるということもまた、めったにないことなんですね。でもつい買ってしまう重たい本。ちょっと気取ったものだと価格も気取っているし!

ちなみに、上の画像は、ミュシャ、井上雄彦(バガボンド)、千と千尋の神隠し、それぞれの画集です。どれもお気に入りですが、どれも水墨画ではないですね!

絵もそう、音楽も映像もそうだけれど、手に取ることができず匂いもなく、目や耳をセンサーとして使い、からだの中をただ通過させる不思議な存在。服や食べ物、雑貨、その他あらゆる物理的に触れることのできる物との違い。

衣食住に遠いところにたたずむ、人間にとって、なくても死にはしないものたち。でも、なくては生きてゆけないものたち。この感覚は人にもよるのでしょうが、私にとっては、なくては生きてゆけないものばかり。そして私の仕事はまさにその、なくても死にはしないものたち をつくることなんだなあと、久しぶりにミュシャの絵を眺めながら思ったのでした。