絵は料理、自転車に乗ること

絵は料理のようなもの

私がよく使うお決まりのセリフがあります。

「絵は料理と同じ」

あなたが今日初めて包丁を握ったとします。大根のかつらむき、キャベツの千切り、魚をさばき、卵焼きをきれいに焼けますか?(私はいまだに満足のいく卵焼きを作れません)フライパンを持つ手もあやしいだろうし、段取りは悪くてオカズが冷めてしまうかも。

たとえれば、筆は包丁のようなものです。今日はじめて筆を持ったとします。まともに扱えなくて当たり前!机は汚すし(服も汚すかも)、お皿の墨も絵の具もぐちゃぐちゃ、先生はさらっと使う筆がぜんぜんうまく使えない。だんだん腹がたってイライラ、泣きたくなってくる。

ひとつ安心していいのは、筆でケガをすることはまずありません。うっかりして水をバシャッとやってしまう程度です。だから落ち着いて、ゆっくりまずは道具に慣れることです。いきなりパパッと器用に料理できっこないのと同じなんです。逆にいえば、道具に慣れてくると余裕が出てくるので、それだけで格段に初心者の頃とは感覚が違ってきます。

よく聞くのは、「水加減がわからない」(筆にどれくらい水をふくませればいいかがわからない)。

この時に私が返す言葉も決まっています。

「水加減=塩加減です」

料理のレシピによく、「塩適宜」なる表現がありますが、適宜って何?ひとつまみって実際、どれくらいつまめばいいの!?私はよく思います。

おそらく料理人はこう答えるでしょう。

「適宜は適宜。味見して自分の舌で覚えるもんだ」

だから私も答えます。

「水加減は塩加減。水を小さじ半分で・・・なんて言えませんよー。実際に描いてみて感覚をつかむしかないです」

私は筆の水分量には慣れているので、タオルの上で筆をちょいちょいっとふくときに(これくらいだな)という感覚がつかめています。これは自慢ではなくて、慣れです。優秀な寿司職人が片手で寿司飯を毎回、正確に適量つかめるのと同じです。

そういえば、昔テレビで観たお弁当やさんの女性。ごはんを容器に移す作業を繰り返していたんですが、試しにその量を測ってみたら、みなキッチリ同じグラム数で、さすが職人技〜と思った記憶があります。

たまに、変化球で「自転車に乗るのと同じです」というのもあります。みんな何度もコケて一生懸命練習して、乗れるようになったんですよね。そして不思議なことに、乗れるようになれば乗れなかった時の感覚は見事に忘れてしまいます。逆に、体が一度覚えた技術は時間がたっても忘れることがありません。

ただ、「できない、できないよ〜」汗と涙で必死になっている時が、本当は一番充実して楽しい時なのかも、と思います。できるようになれば、できない頃には戻れないから。そういう意味もあって、お稽古ってゴールだけを追い求めるのではなく、過程を楽しむのが一番続くヒケツかも、とふと思いました。みんながプロを目指しているわけではないのですもんね。